ボートレースの競艇選手の記事です。女性ボートレーサーである佐々木裕美さんのプロフィールや成績などを記事にしてまとめていますのでご参照ください。
佐々木裕美とは?
佐々木裕美(ささきひろみ)さんは、山口県出身のボートレーサーです。
ここでは佐々木裕美さんの基本情報や競艇選手としての情報、デビューについて紹介して記事にしてまとめていきます。
簡易プロフィール
佐々木裕美さんは1979年10月3日生まれで、山口県出身のボートレーサーです。
身長162㎝、体重44キロ、血液型O型で、体型はだいぶ細身です。
顔立ちも整っており、美人かつ、可愛らしい女子競艇選手の一人です。
競艇選手になろうとしたきっかけは、小学校の時に競艇を見てカッコイイと思ったからだそうです。
競艇選手としての目標は、辞める時選手を続けて良かったと思って辞めることと言っています。
スポーツ経験としては、少林寺拳法をしており県大会や中国大会で優勝していて、初段の腕前となっています。
好きな食べ物は、焼肉とお好み焼き、とのことです。
競艇選手情報
佐々木裕美さんは出身地である山口県の山口支部に、所属しています。
競艇選手としての登録番号は4045、登録期85期、級別A2級なので階級も上から2番目と高く、才色兼備のボートレーサーです。
競艇選手としてのレースの特徴は柔軟で多様性を持っている、自在な選手といえます。
得意なコースはセンターで、好きなレース場はボートレース唐津で広いレース場となります。
レーススタイルのモットーは、スタートで遅れないようにして攻めていくこととのことです。
実績
佐々木裕美さんのデビューは、1999年11月10日です。
デビューして116走目で初勝利をしました。
デビューから3年後(2002年)の、2002年9月にボートレース津で開催された女子戦で初優出しました。
その翌年2003年5月26日に得意のボートレース唐津で女子リーグで初優勝と順風満帆にボートレーサーとしての実績を重ねていきます。
得意とする戦法
佐々木裕美さんのレーススタイルの特徴として、とにかくスタートの速い選手なので、スタートから一気にトップに立つ逃げを得意としています。
下記では、その詳細について説明していきます。
1コースの1着率が凄い
競艇は、インコースが圧倒的に有利です。
近年はその傾向がさらに高まっており、1コース1着率は平均しても50%をはるかに上回ってきています。
そうしたなかで「女子レースはインが強くない」というイメージが浸透しているのも事実ですが、実際は女子戦でも1コース1着率は50%を超えるようになってきています。
しかし、全体の数値よりは平均値では低くなっています。
イン逃げが決まりにくいというのは、誇張された部分のイメージもあるとはいえ、おおむね当たっているといえます。
そのなかでも、近年インコースを得意とする女子ボートレーサーの1人が佐々木裕美さんです。
2017/11/11~2018/11/10に1コースで20走以上した選手の中では、1コース1着率75.6%と好成績を取り3位に入っています。
経歴
佐々木裕美さんは山口県立柳井工業高等学校(統合により廃校)を卒業しています。
1999年11月10日、ボートレース下関でデビュー(一般競走1日目第1レース3号艇進入6コース、2着)を果たし、2000年8月30日にはボートレース丸亀の一般競走コカコーラカップの1日目第1レースにて初勝利(デビュー9ヶ月目、116走目)を収めています。
2002年9月8日、ボートレース津のG3第19回クイーンカップ女子リーグ戦競走で初優出(5号艇進入6コース)したものの、選責失格と残念な結果になりました。
しかし、2003年5月26日では、ボートレース唐で開催された西日本スポーツ杯争奪G3女子リーグ戦競走にて初優勝をしています。決まり手は豪快な捲りでした。(3号艇進入6コース)
2004年3月2日には、ボートレース多摩川で開催された第17回JAL女子王座決定戦競走でG1初出場をしています。
翌月の2004年3月4日に、3日目の第12レースにて記念初勝利をしています。(3号艇進入3コース)
しかし、2004年10月12日、出場予定だったボートレース津で開催のG3第21回クイーンカップ女子リーグ戦を初日から欠場しました。
その後、同じ競艇選手である坂谷真史さんと入籍し福井支部に移籍し、産休をとります。
2006年1月13日に、ボートレース多摩川で開催されたオール女子戦にて競艇界への復帰を果たします。
そして同2006年1月14日、2日目のメインレース(12R)で日高逸子選手や横西奏恵選手ら強者を相手に産休明けの初勝利を飾ります。(5号艇進入5コース、決まり手はツケマイ)
2007年2月26日、出場予定だったJAL女子王座決定戦競走の前日検査でボートレース徳山入りしていたが、ボートレース住之江で夫の坂谷さんが転覆し、大阪市立総合医療センターへ搬送されるとの一報を受け急遽欠場となりました。
欠場手続き後に直ちに病院に駆けつけましたが、夫の坂谷真史さんは残念ながら亡くなった後となり、死に際に間に合いませんでした。
これを期に故郷の山口県に戻り、山口支部の選手として再スタートを切ることとなります。
2007年10月13日、夫の事故現場であったボートレース住之江で復帰を果たします。同16日に、復帰後初勝利します。
2008年7月17日、夫の地元水面であったボートレース三国で開催の女子リーグ戦で復帰後初優勝をします。
2009年3月3日、ボートレース尼崎で開催の第22回JAL女子王座決定戦競走に5年ぶりに出場します。
2009年5月26日、ボートレース福岡で開催の第36回笹川賞競走でSG初出場します。
同年5月30日、5日目の第7レースにてSG初勝利を飾ります(6号艇進入5コース、決まり手は捲り差し)。このレースの3連単の配当は、その当時のSGレース史上最高額である199,840円を記録しました。
家族構成
佐々木裕美さんには、結婚している旦那さんがいました。
坂谷 真史(さかたに しんじ)
1980年3月10日 に生まれ、 2007年2月26日にボートレースの事故で他界しています。
坂谷 真史さんは福井県出身の元競艇選手です。競艇選手としての登録番号は4048、養成85期。 身長166cm、体重52kg、血液型はO型です。
まとめ
佐々木裕美さんは、1999年11月にデビューし、9カ月後に初勝利をおさめ、2003年5月には初優勝しています。
しかし、2007年2月16日、同じボートレーサーだった夫である坂谷真史さんが、レース中に不慮の事故で亡くなってしまいます。
この事故で佐々木裕美さんは大きなショックを受けましたが、旦那の事を胸にしまい競艇選手として復帰することを決断します。
10月13日、愛する旦那の事故現場だったボートレース住之江で復帰して、三日後の16日に復帰後初勝利しました。そして、2008年7月、夫の地元水面であったボートレース三国で優勝を飾ります。
現在も、亡き夫への想いを胸に、A級選手として頑張っている佐々木裕美さんです。
彼女の精神の強さや、負けん気の強さには頭が下がります。
今後も競艇界を盛り上げてくれるボートレーサーの一人として応援していきたいですね。
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