ボートレースにおける絶対王者と呼ぶのにふさわしい松井繁さんの実力はまさに最強の一言です。その栄光の数々やプロフィールなどを記事にしてまとめてご紹介いたします。
松井繁とはどんな人物?
ボートレース界における1流トップボートレーサーとして全国的に名を馳せる松井繁さんはまさに競艇界の絶対王者とも言うべき存在の選手です。
競艇を語る上で絶対に外すことのできないこの選手の経歴などに迫っていきましょう。
簡易プロフィール
松井繁(まついしげる)さんは、1969年11月11日生まれで大阪府吹田市出身のボートレーサーです。
身長は169㎝、体重は51キロ、血液型はO型、所属支部は大阪、2019年現在50歳です。第64期として登録、競艇選手としての登録番号は3415、現在の級別はA1級です。
ボートレーサーになったきっかけ
ボートレーサーになる方の多くは、中高生の時に実際のレースを見て憧れたなんて人が多いのですが、松井繁さんはそうではありませんせでした。
中学、高校時代はテニスをしていましたが、目立つようなプレイヤーではなかったといいます。
北陽高等学校在学時は将来の進路を見い出せず、大学や専門学校を数校受験するつもりでいましたが、父親が知人からボートレーサー養成所の募集案内を渡されたのをきっかけに養成所にも出願したところ、見事に合格をします
そして、そのまま北陽高等学校を卒業してから競艇選手養成所である本栖研修所に入所することになりました。
絶対王者の異名
2012年の賞金王決定戦の出場選手へのキャッチフレーズを評して『絶対王者』の愛称がついています。
36億円を超す生涯獲得賞金は公営競技史上初の突破となり、通算勝利回数は2000勝を超え、100回を超す優勝経験など、名実ともに間違いなく絶対王者といえるボートレーサーです。
ベルルッティの革靴コレクション
生涯獲得賞金36億円超の松井繁さんが記念品として集めている逸品に高級ブランド『ベルルッティ』の革靴を数多く所有しています。
1足100万円以上の商品もあるので、相当のこだわりをもっているのですね。
2018年時点では25足あり、レース場へは毎回必ず磨いていくと言います。
一種のげん担ぎのようにして、成績が悪かったら靴を替えたり、いいエンジンを引いたら同じ靴を選んだりするとのことです。
レーススタイル
結果がモーターに大きく左右されるとも言われている現在の競艇においても、尋常ではない強さを誇る松井繁さんはどの様なレース展開を繰り広げるのでしょう。
1号艇では圧倒的強さ
松井繁さんの進入コースは基本的には枠なりですが、イン寄りのコースが狙える時にはインを取りに来ます。
アウトよりの艇番であってもイン寄りを狙ってくる程、インが得意なレーサーと言えます。
1号艇の時は高確率で1着を予想できる程、舟券にはほぼ確実に絡んできますので、予想からは消しづらい選手です。
アウトコースからでも連に絡む強さ
松井繁さんのテクニックは円熟の境地に達しており、どこからでも千変万化のレーススタイルで1着を狙ってきます。
実質、松井繁さんが参加するレースは常に連に絡ませて買っても良いと言えるレベルです。
成績
松井繁さんは、1988年に64期訓練生として本栖研修所に入所しました。
養成所時代は同期生の中でも転覆が抜きん出て多く、いつ学校を退学になるか恐れる日々を送っていたといいます。
養成期間の後半に入り実戦形式の研修を行うようになると、松井繁さんは誰よりも努力を重ね、次第に力をつけていき、服部幸男選手とともに訓練を積んで切磋琢磨していった結果、トップクラスの成績を収めるようになりました。
そんな松井繁さんのプロデビューからの成績を見ていきましょう。
デビューは1989年
1989年3月24日に選手登録をし同年5月13日にボートレース住之江でデビュー戦を飾ります。
デビューから半年でB1級、翌年にはA級へと昇格しました。
G1初優勝
松井繁さんはデビューからわずか3年でG1での優勝を果たします。
1992年5月、ボートレース戸田で行われた開設36周年記念戸田グランプリにて1号艇、進入3コースながらも決まり手まくりで優勝しました。
1995年に賞金王決定戦に初出場
1992年にG1初優勝を果たしてからはしばらくタイトルを拝めずにいましたが、1995年2月にボートレースびわこで開催された第38回近畿地区選手権で2度目のG1優勝を記録、続く4月のボートレース大村で開催された開設43周年記念海の王者決定戦で3度目のG1優勝をし、年末の賞金王決定戦に出場しました。
この年より、2004年まで10年連続出場を果たしていました。
伝説が始まる1996年
前年の賞金王決定戦に出場したことで一気に全国区クラスのレーサーとなった松井繁さんは、1996年5月にボートレース児島で開催された第23回笹川賞に出場し、見事に優勝を果たします。
6号艇で進入6コースでの恵まれでの勝利となりましたが、これが後にSG12回優勝を成し遂げる松井繁さんのプロローグとなります。
また、この年は、4月7日の開設44周年記念秩父宮妃記念杯、7月11日の開設44周年記念京極賞においても優勝、いずれもG1タイトルです。
更に、1996年から始まった競艇SG大会のオーシャンカップ競走は記念すべき第1回の住之江大会から全ての大会で出場しており2011年大会まで唯一のオーシャン皆勤賞のボートレーサーとなります。
脅威のSG優勝12回
絶対王者と言われる所以である、SG優勝12回の記録は、ボートレーサー史上でもトップクラスです。
それではSG制覇の今までの栄光を見てみましょう。
第23回 笹川賞
1996年5月にボートレース児島で開催された第23回笹川賞の最終27日の優勝戦では6枠6コース、決まり手は恵まれで1度目の優勝をしました。
第3回 オーシャンカップ
1998年7月にボートレース三国で開催された第3回オーシャンカップの最終20日の優勝戦では1枠1コース、決まり手は逃げで2度目のSG優勝をしました。
第14回 賞金王決定戦
1999年12月にボートレース住之江で開催された第14回賞金王決定戦の最終23日の優勝戦では、2枠2コース、決まり手はまくりで3度目のSG優勝をしました。
第28回 笹川賞
2001年5月にボートレース浜名湖で開催された第28回笹川賞の最終20日の優勝戦では6枠5コース、決まり手はまくり差しで4度目のSG優勝をしました。
第11回 オーシャンカップ
2006年7月にボートレース若松競艇場で開催された第11回オーシャンカップの最終30日の優勝戦では1枠1コース、決まり手は逃げで5度目のSG優勝をしました。
第21回 賞金王決定戦
2006年12月にボートレース住之江で開催された第21回賞金王決定戦の最終24日の優勝戦では1枠1コース、決まり手は逃げで6度目のSG優勝をしました。
第43回 総理大臣杯
2008年3月にボートレース児島で開催された第43回総理大臣杯の最終30日の優勝戦では1枠1コース、決まり手は逃げで7度目のSG優勝をしました。
第13回 オーシャンカップ
2008年7月にボートレース蒲郡で開催された第13回オーシャンカップの最終27日の優勝戦では1枠1コース、決まり手は逃げで8度目のSG優勝をしました。
第56回 全日本選手権
2009年10月にボートレース尼崎で開催された第56回全日本選手権の最終13日の優勝戦では、1枠1コース、決まり手は逃げで9度目のSG優勝をしました。
第24回 賞金王決定戦
2009年12月にボートレース住之江で開催された第24回賞金王決定戦の最終23日の優勝戦では、3枠3コース、決まり手は差しで10度目のSG優勝をしました。
第18回 オーシャンカップ
2013年7月にボートレース若松で開催された第18回オーシャンカップの最終28日の優勝戦では、1枠1コース、決まり手は抜きで11度目のSG優勝をしました。
第49回 ボートレースクラシック(総理大臣杯)
2014年3月にボートレース尼崎で開催された第49回ボートレースクラシックの最終23日の優勝戦では、1枠1コース、決まり手は逃げで12度目のSG優勝をしました。
まとめ
圧倒的な絶対王者の松井繁さんは生きるレジェンドとも言えるほどのボートレーサーです。
SGV12は前人未到、36億円を超す生涯獲得賞金など、まだまだ記録を伸ばせる可能性を秘めている事実上最強の競艇選手と言えるでしょう。
今後も松井繁さんから目が離せません。
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