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【ボートレース】競艇界ナンバー1のイン鬼「西島義則」のプロフィールや成績まとめ

競艇

ボートレースのベテラン競艇選手でイン逃げの名手である西島義則さんの過去から現在までの功績やプロフィールや成績などを記事にしてまとめていますのでご参照ください。

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インの鬼「西島義則」さんって?

ボートレーサー西島義則さんはSG優勝7回の成績を誇る競艇のトップレーサーです。

一体どのような人物なのでしょうか?

簡易プロフィール

西島義則(にしじまよしのり)さんは、1961年10月30日生まれ、島根県鹿足郡柿木村(現在の吉賀町)出身のボートレーサーです。

身長は169㎝、体重は52キロ、血液型はA型、現在は福岡県在住ですが、所属支部は広島支部で、2019年現在は58歳です。49期として登録、競艇選手としての登録番号は3024、現在の級別はA1級です。

叔父に競艇選手がおり、また元競馬騎手の田原成貴さんとは、従兄弟の関係にあたります

競艇選手を目指したきっかけ

西島義則さんが競艇選手を目指すきっかけとなったのは、叔父が競艇選手でボートレーサーが身近な存在だったこと、そして優勝勝敗の世界に入りたいと思ったからとのことです。

ペリカンモンキーとは?

西島義則さんのインモンキーはヘルメットが水面に突っ込みそうな程の独自の旋回となっており、深い前傾姿勢の状態で、それをペリカンになぞらえて『ペリカンモンキー(ターン)』と呼ばれております。

そして、『ペリ(カン)』が彼のニックネームにもなっています。

レーススタイル

西島義則さんは、「イン逃げの西島」「インの鬼」の異名を持つ程にインにこだわりのあるボートレーサーです。

インへのこだわり

西島義則さんは、モンキーターンという時代の最先端の旋回(ターン)を駆使したあの『艇王』こと植木通彦さんの優勝劇に衝撃を受け、自身もこの戦法を必ず習得しなければならないと心に誓ったそうです。

外から全速で回れるならインでやったらどうなるのか…差されもまくられもしない最強のターンができるのではないか、西島義則さんはそう考え、インから全速で回る自分だけのターンを作り上げました。

生粋のイン屋

西島義則さんは、例え6号艇であれ、どんなにピット離れが遅れようとも、前付けで内よりを狙う生粋のイン屋の競艇選手として知られており、実際のレースでも積極的にインを取り行く姿を見ることができます。

東方不敗のインモンキー

1コースが最も有利なボートレースにおいて、1コースからスピードを落とさずに旋回すれば絶対に勝てるはずだ…そう考えた西島義則さんはエンジンを出足型に仕上げ、助走距離の無い起こし位置からでもスタートを合わせ、1M全速のインモンキーで逃げるのが常勝パターンとなっています。

華麗なる栄光

西島義則さんは、歴代26人目となる2500勝を2018年の東京スポーツグループ杯にて見事達成されました。

デビューしてから38年に渡る現役生活での戦績を見ていきましょう。

デビュー戦は1981年

西島義則さんは1980年に第49期生として本栖研修所に入所し、翌年1981年に競艇選手としてデビューを飾ります。

地元の宮島競艇場(ボートレース宮島)にて、プロ初レースでまさかの1着、さらに2戦目においても1着を飾るという素晴らしい連勝にてデビューを果たしました。

初戦で1着というのは素晴らしい成績ですね。

G1デビュー

西島義則さんは着々と実力をつけ、再び地元のボートレース宮島でG1の初出場を果たし、その際には2戦連続2着と好成績を残し、デビュー4年でボートレース宮島の周年記念でG1初優出を果たします。

SG初出場初勝利

1987年にボートレース蒲郡で開催された「第22回総理大臣杯」にてSG初出場、しかも初戦でいきなり1着を獲得するなど、とにかく初レースでの強さを魅せつてけます。

G1初制覇

1989年1月30日にボートレース尼崎で開催された「新鋭王座決定戦」で西島義則さんはG1初優勝を果たします。

ここで8戦6勝、2着2回のオール2連対というすさまじい成績で完璧な優勝を勝ち取りました。

SG初優出

1996年9月にボートレース蒲郡で開催された「モーターボート大賞」にて初めてのSG優出を飾ります。

優勝こそ逃しますが、着実に頂点へと登りつめる為のステップを踏んでいたと言えるでしょう。

SG初優勝

西島義則さんは、1997年3月15日から開催された「第32回総理大臣杯」にてSG初制覇を果たします。

3号艇から出場しましたが、インコースをダッシュし、なみいる強豪を相手取り1コースから軽快に逃げ切って優勝しました。まさにインの鬼ですね。

SG2連覇達成

1998年3月17日からボートレース丸亀で開催された「第33回総理大臣杯競争」にて2度目のSG優勝を飾ります。

前年から引き続き2連覇、2号艇からきっちりと逃げを決めての優勝となりました。

SG3連覇の快挙

1976年に野中和夫さんが達成して以来の史上2人目の大記録となるSG3連覇を西島義則さんは2000年に達成し、当時最強の競艇選手の名をほしいままにします。

競艇界の頂点に君臨

5度のSG優勝、史上二人目のSG3連覇を成し遂げた西島義則さんは更にその勢いを増していきます。

2001年11月20日からボートレース児島にて開催された「SG第4回競艇王チャレンジカップ競走」では5号艇から出場するも華麗な差しでSG6度目の優勝を遂げ、2002年5月28日にボートレース尼崎で開催された「第29回笹川賞競走」でも6号艇出場で華麗なまくり差しで7度目のSG優勝を果たします。

西島義則さんの転落とは?

圧倒的な人気と強さ、その二つを持ったボートレーサーである西島義則さmmを止めるものはもはや誰も居ない。

そう誰しもが思っていた矢先、彼に大きな衝撃を与えることが起きてしまいます。

第12回グランドチャンピオン決定戦競走

「第29回笹川賞競走」で優勝を果たした西島義則さんは、次なるSGとなる「第12回グランドチャンピオン決定戦競走」に出場します。

初戦を3着としたものの、その後は圧倒的な6連勝を遂げ、余裕の優出を果たします。

イン屋である彼が1号艇で優勝戦に臨む=優勝とも言える構図、しかしこの状況で西島義則さんは敗れてしまいます。

痛恨のフライング

絶対的有利な状況で臨んだ地元SGの優勝戦、圧倒的な人気を誇り、買われに買われた舟券の数々に、西島義則さん本人はもちろん、満場一致で優勝することを確信していた観客たちも固唾を飲んで見守ります。

しかし、西島義則さんはスリットオーバーの勇み足で痛恨のフライングを喫してしまのです。

歴史的な舟券返還劇

実はこの時、西島義則さんと共に人気のあった熊谷直樹選手もフライングとなってしまい、1・2番人気が揃ってフライングという異例の事態にレースとなりました。

その結果、売上26億2427万2400円のうち92.8%にあたる24億3513万3800円が返還という不名誉な大記録を樹立してしまう事になったのです。

SG優勝戦フライングの代償

史上最大級の返還額となってしまったボートレース宮島は、西島義則さんの地元レース場であったことで、応援してくれたファン、自分を育ててくれた宮島レース場に大きな迷惑をかけてしまった、その後悔はしてもしきれないほどに彼の心をへし折ってまいました。

一度はボートレース界の頂点に立った西島義則さんはむこう1年間のSG出場停止を課され、表舞台からその姿を消してしまうのです。

再び頂点に向かっての復活を遂げる

西島義則さんは、2003年以降、SG出場、SG優出を果たし、その存在感は証明していましたが、SG優勝には手が届いていません。

ただ、G1を優勝をするなど、少しずつ復活の兆しが見えてきているといえるでしょう。

戸田グランプリ開設50周年記念で優勝

2007年3月6日より戸田競艇場で開催されたG1戸田グランプリ開設50周年記念で6号艇からの差しで見事優勝を果たします。

2010年成し遂げる大快挙

2010年4月13日よりボートレース徳山で開催された「G1第11回競艇名人戦競走」の優勝戦では、1期上の先輩でデビューした時からその背中を追い続けたあの今村豊選手を相手どり渾身の全速差しで優勝を飾ります。

この優勝を持って、史上初の新鋭王座決定戦と競艇名人戦(新人とベテランの祭典)のW制覇を成し遂げた最初のボートレーサーとなりました。

まとめ

西島義則さんは2010年のG1優勝以降、2018年現在までG1以上の優勝は無いですが、2011年以降の優勝回数は17回とA1級のベテラントップ選手として6号艇からでも内よりを狙うインスタイルは変わらず今も健在といえます。

まさにインの鬼とも言えた栄光の時代の再来、華麗なるペリカンモンキーターンでの完全復活に期待しましょう。

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